2015年6月15日月曜日

イヤなもの・怖いものが多すぎるという病

ひと口に発達障害と言っても特性は人それぞれで、
「けっきょく何が問題なん?」と問われても、その答えはさまざまです。


娘の場合、発達障害で最も困難だったことは、

「イヤなもの・怖いものが多すぎる」

という症状でした。


おそらく、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚といった五感のほか、
恐怖感・不安感・緊張感といった精神的な感受性をふくめた心身のあらゆるセンサーが過敏すぎるためにおこるバグのようなものだと思います。


感じすぎるために、普通の人には何でもないようなことでも不快感を覚えてしまう。
不快なものを避けるために、好きなもの、知っているもの、大丈夫なものに異常にこだわる。
こだわっているものを取り上げられたり邪魔されたりすると、生存を拒絶されたかのように抵抗する。

そして、スペックをオーバーした時点で、パニックに陥る。



こだわり。
パニック。


これらは本人にとっても辛く、周囲の人間を疲れさせ、偏見や誤解を生むためさらに環境が悪くなるという悪循環を招きます。


こだわりやパニックを起こす子にはそれ相応の理由が(本人にとっては)あるのですが、なかなか他人が理解することは難しいものです。そのため、変わっている子、わがままな子、やっかいな子といったレッテルを貼られます。



泣き疲れて寝るというお決まりのポーズ














それは親でさえ同じです。
障害を理解するためのペアレントトレーニングを受ければ、ある程度は不可解な行動の理由が理解できます。そうすれば多少は気持ちが楽になるかも知れませんが、だからって負担が軽くなるわけではありません。

頭痛の原因が分かったからと言って、頭痛が治らなければ辛いのは変わらないのと同じです。


私もいろんな専門機関にかかっていろんな専門書を読んできて、障害の原因や症状、問題点、すべきことが分かったのは大きな収穫でしたが、楽になったわけではありません。むしろ余計なことを知ってしまったために余計な心労をした部分もあると思います。


今ではそれも含めてやってきて良かったと思っていますが。




小学生になった娘は、昔よく見られたようなこだわりや頻繁なパニックはなくなってきました。
しかし感覚が過敏なのはそれほど変わらないので、けっきょくは本人にガマンを強いているにすぎません。

フツーの子には何のエネルギーも必要としない生活が、あの子にとっては多大なるガマンの上に成り立っています。もう、想像するだけで疲れるんですが。


学校で疲れて帰ってきてるんだから、せめて家ではリラックスしてほしいと言っておきながら、今日も昨日も、しょ~もないことで説教なんかしてしまう私は、すでにガマンの量で娘に負けている気がします。





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