2016年11月27日日曜日

アスペルガーの人はなぜ非を認めないのか


アスペルガーの人は絶対に自分の非を認めません。
反省しない、責任転嫁をする、プライドが高いなどとよく言われます。子供だけでなく、大人もそうです。

なぜアスペルガーの人は反省しないのでしょうか?
実際に接していて思ったのは、反省に伴う痛みを人よりも強く感じてしまうからではないか、ということです。


反省をするためには、自分の弱みや汚点をまず認める必要があります。人には誰にでも弱みや欠点があるものですが、それを受け止めることは恥ずかしさや自己嫌悪などイヤな思いをすることになります。

アスペルガーの人は、その「イヤな思い」の「イヤ」度合が通常では考えられないくらい大きく、「イヤイヤ!ものすごくイヤ!絶対にイヤ!とにかくイヤ!その激痛から逃れるためなら何でもやる!!」というくらい、イヤなんだと思います。

たとえば感覚過敏の人なら、ちょっとした音に脳天を突き抜けるほどの刺激を感じる人や、服のタグや手の汚れを過剰に嫌ってパニックになる人がいます。その心理的バージョン。


アスペルガーの人は、動物でいうならヤマアラシ、エヴァ的にいうならATフィールドが分厚い人なのです。


非を認めるという苦痛から逃れるために、アスペの人は相手に対し過剰な「反撃」をおこないます。それが責任転嫁、論理のすり替え、無理な強弁につながります。


過敏な痛みから必死に自分を守る姿勢はある意味涙ぐましくもありますが、自分の痛みには過敏なくせに相手の痛みには無関心というのですから、周りにいる人間としてはたまったものではありません。

アスペだから反省しなくてオッケー、ではなく、
反省しても何も怖くないよ、という風に持っていくことが理想なのですが、
大人になってからそこまで面等見てくれる人がいるかどうかですね。



大人の発達障害に関してはこれが一番分かりやすかったです。
本人のつらさだけでなく、周りの人がなぜつらいのかについても言及されています。

2016年11月1日火曜日

冬でも半そで半ズボンの子


小学校の時、1クラスに1人はいましたよね、
真冬でも半そで半ズボンの子。

どうしてあんな寒い格好で過ごすのか、自分なりの解釈としては

・ やせがまん
・ 極度の暑がり
・ スゴイと言われたい

のどれかだと思っていたのですが、最近は

・ 長袖や長ズボンの感触がイヤ

という理由もあり得るなと考えるようになりました。


なぜなら、次女が今まさにそれ。

昔から柄付きの靴下とか厚手の上着とかをイヤがる子で、
小学校に上がってからは上着類はほぼ着なくなりました。
こっちが頼みこんでやっと長袖Tシャツを着てくれるくらい。
カワイイからハイソックスははいてくれますが、たぶんあまり好きではない。

冬でも薄着の子って、男子ばっかりじゃなかったんやー。

もしかしたら彼らの中にも、皮膚感覚が鋭すぎるために
肌に布があたる面積をできるだけ少なくしようと薄着になっていた子がいたかもしれない。
中学校にあがって堅苦しい制服になって、さぞかし不快だったんじゃないだろうか。


感覚過敏や触覚過敏のある子は、ガーゼや綿100%の素材を好むようです。首回りは広めで、タグはプリント、縫製はできるだけ平らなものがオススメ。デザインも探せばかわいいのがあります。別にオーガニックコットンにはこだわらなくていいと思います。たぶん。



2016年10月22日土曜日

ウチの子は全員1歳半健診で積み木が積めませんでした


3人目が1歳半健診を受けました。
人によってはこれって緊張するらしいですね。

それまでの乳児健診とは違い、身体面だけでなく運動や社会性の発達についても検査するので、ママの中には「テストに受かるべく」「予習に余念がない」という人も。受験か。

こちらといたしましては3人目というのもあり、すでに上の2人が療育経験済みということもあり、よゆうです。よゆーのしゃくしゃく。

もう、それぞれの問診の意図、検査の意味、どういう場合に「お母さんこちらに」と呼ばれるか、アウトだった場合はどうなるか、全部知ってます。そして、アウトだったからって大丈夫ってことも。

有名なのは「積み木」でしょうか。
保健士さんに差し出されたちょっと小ぶりな積み木を3段以上積めるかどうかというもの。指先の運動の発達をみるのだとか。

ウチの子は、長女・次女・長男そろって積み木を積めませんでした

運動能力の問題ではありません。家では上手に積んでいます。性格のせいといったらいいのでしょうか。

〇1人目
→積み木のような幼稚な遊びでは相手が納得しないとふんだのか、おもむろにつかんでイチローのレーザービームのような目を見張る遠投、3つ向こうの同じ検査をしていたテーブルに到達。

〇2人目
→保健士さんが「積み木を積んで・・・」と言いだす前に勝手に積み上げてしまい、褒められると思ったのに「ちょ、ちょっと待ってね」といさめられたので、その後地獄的な不機嫌に。

〇3人目
→「積み木積んでくれる?」と言われてニコニコうなずくものの手を出さず、「こうやるのよ」と保健士さんが作った見本を横殴りの張り手でぶっ壊す。その間もニコニコ。

上の二人は別室送り、一番下は尋問の末釈放でした。
1歳半健診は上手に何かができたかだけでなく、その間の子供とのやり取りや親の様子を総合的に見るもので、積み木が積めたかどうかだけで発達に問題があるとはみなされないので安心していただきたいです。

親としては子供に「正しく」行動してほしいと願うでしょうが、私はああいう場で大人の予想がつかないようなことをしでかしてくれる子供が好きです。そういう意味で、ウチの3人はとても優秀ですよ。育てるのは大変だけど(ボソッ)


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はじめりは1歳半健診




2016年10月3日月曜日

運動会と音


小学校で運動会がありました。
子供の出番に合わせて場所を移動して、必死でカメラを回して、親って本当にバカですね。でも、すごく楽しかったです。

さて、今日は運動会と「音」に関する記事です。あらためて考えてみると、運動会ってものすごくたくさんの音が存在するのですね。

・ おなじみのBGM(チャッチャラー♪チャッチャラー♪チャラチャラチャーー♪とか)
・ 放送委員の声援(「白組がんばってください!」とか)
・ ダンスや組体操のテーマ曲
・ 応援合戦(ピッピッピ!ハイ!ピッピッピ!ハイ!ピッピッピッピッピッピッピ!)
・ 子供のキャーといった歓声
・ ピストル

そりゃ近所の人から苦情も来るっていうね(笑)

娘の聴覚過敏はかなりよくなりましたが、それでもピストル音だけはどうにもなりません。最近では電子音タイプのものも売っていますが、娘の小学校は古風なのか予算がないのか、いまだに火薬を使った昔ながらのヤツです。

運動会の練習がはじまる前から憂鬱だとうったえてくるので、先生に相談して防音対策を取らせてもらうことにしました(さすがにピストルを買い替えてとは言えない)。イヤーマフと耳栓の併用。


 

つけっぱなしだと指示が聞こえないので、出番の直前にすばやく装着!
席に戻ったらスターターの先生が近づくのを察知してすかさず装着!
どこのスパイ活動家だ

ちょっと面倒ですが、これだけで普通に運動会を楽しめるのですから、安いもんです。おかげで100m走も1位、他の競技でも大活躍でした。


観察したところ、防音対策をしている子供がけっこういることが分かりました。イヤーマフや耳栓を利用している子は学年に3~4人。耳をふさいでいる子もちらほらいました。学年ごとに人数に偏りがあるのは、当たり前のようにつけている子がいると他の子も付けやすい、逆に誰もやっていないとなかなか利用しにくい、という事情があるのだと思います。だって感覚過敏の割合ってだいたい同じはずだし。


信じられないことに、ひと昔前にはこんな道具をつかうことは許されませんでした。イヤーマフはヘッドホンで音楽を聴いているように見えますし、耳栓は先生の話が聞けない、そもそも他の子と違う行動はゆるされないという風潮がありました。過剰な音に悩まされつつも言いだせなかった子供が多かったことでしょう。

今は練習の段階から使用が認められています。先生の独断で禁止することはできません。感覚過敏には適切に対処することが学校に義務付けられています。私の知らない先人の誰かが、必死に頑張って活動された成果なのでしょうね。とてもありがたいです。

やっぱり、時代は新しい方が正しい。




2016年9月8日木曜日

自閉症が治る薬ができたとして

自閉症の発症メカニズム解明 九大チーム、神経変異の原因分かる

長らく謎だった自閉症発症のメカニズムが少しずつ解明されてきているようです。原因が分かれば、治療方法や薬の開発につながります。

もちろん薬はそんなに簡単にできるものではないでしょうが、20年前までは脳機能障害かどうかも分かっておらず、「基本的に治らない」が常識だったのですから、ものすごい進歩であることは想像できます。

気になるのは、自閉症特有の困難(人間関係が苦手とか段取りが悪いとか)がその薬で治るとすると、同時に自閉症ならではの能力も失われてしまうのでか、ということです。

特有の能力とは、抜群の記憶力、優れた音感、並外れた味覚や嗅覚などです。

人間というのはうまくできていて、ある部分が足りないと他の部分が発達するようになっているみたいです。凹の能力を埋めるように、凸の能力があるのです。自閉症の人が定型の人にはない能力を持ち合わせているのはそのためです。

凹を薬で治してしまったら、凸の力もなくなって、能力的に平坦な、単なる凡人になってしまいそうです。たぶん、その薬は良くも悪くも自閉症の人を普通の人に変えることになるでしょう。


もし、私が娘の症状に一番悩んでいたころにその薬が開発されたら・・・

こだわりや多動、対話ができない状態が改善される代わりに、記憶力や優れた音感や抜群の視覚的な理解力がなくなると言われたら・・・


たぶんそれでも薬を使っていたと思います。


いろんな人がいてもいい、むしろ多様である方がいい、
そもそも自閉症は病気じゃない、薬で治す必要なんかない、
みんなが同じ普通になるなんて気持ち悪い、彼女のあるがままでいてくれたらいい―。

私もそう思います。でも、言うだけなら簡単です。

本人の生きづらさを目の当たりにして、それに振り回される自分や周囲の人間がいて、将来のことを考えたら不安しかないという本当につらい状況とある時だったら、

「そんなこと言ってられねぇ!」って思ったでしょう。


それで、薬のおかげで本人も周りも楽になったとしても、なんとなく後ろめたさを感じると思います。

ホントにこれで良かったのかと。

今だって、娘が成長とともに特殊能力が失っていくのをまのあたりにすると、「もったいないな・・・」という気持ちになるのですから。もっと、本人の特性に合わせた教育があったんじゃないかと。


薬、早く開発されるといいですね。
でも、親の葛藤は薬では治らないでしょうね。



←自閉症が治療可能となった近未来の小説。自閉症の主人公が、治療すれば自分が自分ではなくなるのではないかと苦悩する話。めちゃくちゃおもしろかった。タイトルがまたいいよねー。


2016年7月17日日曜日

出生前診断で陽性だったら堕ろしますか?


3人目の妊娠15週(4か月)の時、出生前診断を受けました。

出生前診断とは、胎児に異常があるかどうか出産前に調べることができる検査です。最近では血液検査をするだけで高精度の検査が可能です。

すべての疾患が分かるわけではなく、染色体の異常が原因で起こるダウン症などの疾患の発見に限られます。東尾理子さんが受けて一時話題になりましたね。

3人目を妊娠した時、出生前検査は受けると決めていました。出産時38歳はけっこう高齢であることと、上の2人が先天性の疾患を持って生まれてきた経験があるからです。今でこそ成長とともに心配な部分はほとんどなくなりましたが、先天的な障害には遺伝が深く関係していることを考えると、私たち夫婦のDNAにはそういうのが出やすいたちなのかも、という考えがありました。


結果は、陰性でした。

はー、めでたしめでたし。

で、終わっていいんかいっちゅー話ですよ。


この検査には常に、「陽性だったらどうすんの?」という問題がつきまといます。平たく言うと、「障害があったら堕ろすの?」ということです。出生前診断では、この究極の選択から逃れることはできません。

障害があったら中絶しますか?
障害があっても産みますか?

なんという破壊力のある質問でしょう。でも、出生前診断で陽性になるということは、こういうことなんです。中絶手術はするなら早くしないといけないので、結果が出てからゆっくり考えるヒマなんてありません。できれば検査前に答えを出しておくことが望ましいです。

私は万が一陽性だったら、出産はあきらめると決めて検査にいどみました。これは私たち夫婦がきちんと話し合って決めたことです。それでも、いざとなったら戸惑ったでしょう。陰性で、本当に良かったというのが本音です。



でも、世の中にはこのつらい選択をせざるを得なかった人がいます。



もし、あなたの友人・知人が、障害があることを知って赤ちゃんを堕ろしたら?

「障害があったって命なのに」
「頑張ればなんとかなったんじゃないの」

こういうこと、言わないであげてください。産んだらあなたが手伝うのですか。


もし、あなたの友人・知人が、障害があることを知って赤ちゃんを産んだら?

「育てる自信もないのに無責任じゃないか」
「本人だってかわいそう」

こういうこと、言わないであげてください。その子の人生に何の責任も負わないあなたが言うことではありません。


何事もなく終わった出生前診断でしたが、考えることの多い経験でした。
どんどん受けやすくなっているのは歓迎すべきと思うものの、そのぶん究極の選択をしなければならない人の数が増えるのかと思うと、何が良いのか悪いのか、よく分からなくなってきます。






2016年6月29日水曜日

こだわりが強いとは、こういうこと

発達障害の子はこだわりが強いと言われます。

特に物事の手順にうるさく、想定していたのと違うとパニックを起こして大泣きすることも。

といっても、目にしたことがない人にはなかなか想像できないですよね。

たとえば、「みかんの皮をむく」という単純な行為でも、このような苦労があります。






暴れて泣くこと30分。みかんを渡そうとしただけなのに、30分泣かれました。

「勝手に皮をむかれたのがイヤだったんだな」と察した母、今度はむかずに渡すことに。




より激しく泣かれました。


彼女が想定していたのは、「皮は自分でむきたいけれど、最初は硬くて難しいので、へその部分に親指で穴をあけただけの状態で渡してもらうこと」だったようです。

これが2歳半の頃の話。まだ言葉でこんな複雑なことを伝えることができない年齢です。分かるかっつーの。

日常のあらゆる面でこういうこだわりがあり、そのたびに数十分単位でギャン泣きされます。1回30分として、10回あれば300分、5時間です。1日5時間ってお前。確実に生活に支障が出ます。


成長とともに言葉を駆使できるようになればおさまってきますが、そのへんは個人差がありますね。今から思えばギャグですが、現在進行形の人にとっては深刻です。





2016年6月16日木曜日

自閉スペクトラム症の視覚世界を体験できるシミュレーター

自閉スペクトラム症(ASD)の人は定型の人とはモノの見え方が違い、それが原因で社会生活に支障が出ることがあります。

そこで、ASDの人がどのように世界を見ているのかを体験できるシミュレーターが開発されたそうです。

http://synodos.jp/science/17269


完全にウェアラブルゲーム状態ですが、真面目な装置ですよ。


見え方の例はリンク先の記事に掲載されていますが、自閉症傾向のある人の視覚には以下のような特徴があります。

・ 明るいところはすごく明るく、暗いところはすごく暗く見える
・ 光を強くとらえるため、とにかく眩しがる
・ 音や動きがはげしいところではノイズが見える

サングラスが手放せないASDの人って多いらしいですね。
人がガヤガヤしているのが嫌いっていうのも有名ですが、聴覚だけでなく視覚でも刺激が強すぎるなら、そりゃ人ごみは嫌いでしょうし、小学生なら机の下から出てきませんよね。


この機器を開発した研究チームは、ASDの人の感じ方を体感することで、理解や支援につなげてほしいと述べています。うーん。男性に着せる「妊婦体験スーツ」みたいなテイストがしますね。この状態が四六時中であることの苦痛が、うまく伝わればいいんですが。


2016年5月29日日曜日

ほめ方・しかり方は言葉よりも表情が大事


子供に接する時は、言葉よりも表情に気をつける必要があります。

視覚優位の子は、言葉から受ける印象よりも、目で見た印象の方が強く残ってしまう傾向があります。どんなに言葉を尽くしてほめてあげても、親の顔が笑っていないとうまく伝わりません。目を合わさずにあさっての方向を向きながらほめるのも同様です。

おそらく、視覚優位の子に限らず、幼児くらいまでの小さい子供には共通して言えることだと思います。子供って、目で聞いているんですね。


で、ここに1つの大問題が。
私は笑顔が苦手です。

昔から表情筋が貧弱で、普通の顔をしていても「怒ってる?」と言われるし、笑っていても「何企んでんの」とか言われるタイプです。そんな私が母になり、子供には笑顔で接するよう求められたところで、そう簡単にできるわけがありません。

ほめる時の言葉選びはそのへんのステキママよりもかなりイイ線いっていると思うのですが、いかんせん顔がコレなので、視覚優位でしかも自己肯定感の低い娘には、どうもうまく伝わりませんでした。

そこで編み出した秘策がこちら。言葉でほめると同時にやります。

・ 手でマルやOKマークを作る
・ 紙や物ににっこりマークを描く
・ ハイタッチをする

これ、実にうまくいきました。
笑顔がイマイチでも、マルやOKは「肯定」を表す分かりやすいジェスチャーですし、にっこりマークもどこにでもすぐに描けてとてもよろこんでくれました。

ハイタッチは小学生になった今でも有効です。うまくいった時の定番として根付いたので、お互いにどのタイミングでハイタッチをするか心得ています。共感とスキンシップの両方を得られて一石二鳥。イエーイ!パチン!超楽しいです。

どうすべきか分かっていても、うまくいかないこともあります。親だって完全じゃない。でも、代わりの手段でも大丈夫なんですね。ミカンに顔を描くのは、もはやウチの伝統です。


2016年4月29日金曜日

偏食は甘えやしつけの問題なのか?



以前通っていた親子学級で、ひどい偏食の子がいました。

にんじんが食べられない、野菜が嫌いといったレベルではなく、固形物を一切受け付けない、極端な偏食の子でした。3歳過ぎのかわいい女の子なのにすっかりやせていて、青白い顔をしていました。そのままだと栄養失調になってしまうので、鼻にはいつも栄養チューブが。

お母さんの苦労ははかりしれません。本当に、本当に、どんなに工夫をしても促してみても、食べてくれないのだと言います。家庭的で料理上手なお母さんでした。


うちの子たちは偏食はあるものの、好きなものなら食べられるので、栄養不足になるほどではありませんでした。ランチの時間はその子の前で大盛りのうどんをズルズルズルズルおいしー!と大騒ぎしながら食べていました。

目の前であんまり勢いよくおいしそうに食べる人がいるもんだから、その子も「ちょっと食べてみようかな・・・」と思ったらしく、一本だけ、うどんを口に運びました。

短いうどんを、一本だけ。
ちゅるっと飲み込んで、「おいしい」と言いました。


その時の、その子のお母さんの顔。


びっくりしたような、うれしいような、戸惑ったような顔。「すっごい久しぶりに食べてくれました・・・!」と、泣きながら言っていました。私には想像もできない、多くの苦労があったんだと思います。


昔ほどではありませんが、今でも偏食をしつけのせい、甘えのせいと決めつけ、親をただ責めるだけの人がいます。もちろん、しつけが原因であることも皆無ではありませんが、世の中には本当に食べ物を受け付けられない子がいるのです。

味覚や嗅覚が敏感な子は、食べ物に含まれるさまざまな成分の中に少しでもイヤなものが混じっているのを感じ取ります。また、口腔内の触覚が敏感な子は、ほんのちょっとの歯ごたえをガラスを食べているように痛く感じることがあるそうです。

そういった感覚は本人たちにとっては現実のものですから、いくら食育や道徳で治そうとしても治るものではありません。むしろ、自分たちの感覚が道徳的に間違っているのだと言われると、自身の感性そのものを否定するようになるでしょう。



食べたくても食べられなくてやせ細っていたあの子。
うどん1本で感動して泣いていたお母さん。


誰があの2人を責められるでしょうか。


何でも食べる子は「いい子」なのではなく、ラッキーな子なのです。何でも食べられない子を「悪い子」と決めつけてはいけません。将来的には偏食の子も食事の幅を広げていく必要があるのは間違いありませんが、それは複雑に絡まったワイヤーをほどくような、時間と根気がいる作業なのです。






2016年4月14日木曜日

2歳児収納ケース殺害で思ったこと


■2歳児収納ケース殺害 子の誕生切望、昨年には家族旅行…発育相談、月内に予定
■2歳児収納ケース殺害 母親の注意後、父親が閉じ込め 泣き声「そのうち聞こえなくなった」

殺害された2歳の男の子は、1歳半健診で発達障害の疑いがあったとのことでした。
以下、予測の範ちゅうを超えない無責任な内容ですが、感じたことを書きます。


定型の子でも幼児の子供の育児は大変なのに、発達障害の子供となるとその大変さは何倍になるのか分かりません。特に活発でこだわりが強い子ほど親の疲労やイライラがたまります。いつも動いていて、騒ぐのをやめなくて、言うことを全く聞かないのが毎日続くと、「たのむからちょっと止まっててくれ」と、何かに閉じ込めておきなくなる気持ちは分からなくもありません。


しかし、閉じ込めておきたいと考えることから、実際に閉じ込めるまで発展するには、「発達障害の子の育児は大変」だけではない別の要素が必要です。たとえば、

・ 周囲(特に父親)の無理解
・ 発達障害に関する予備知識の不足
・ 手のかかるきょうだい児の存在
・ 心の余裕をなくすほどの貧困

などです。

あと、あんまり言いたくないけど、やっぱり親のストレス耐性に個人差があることも無関係ではありません。


テレビを近くで見すぎたことがきっかけだといいますが、視覚刺激に敏感な子は異常なほどテレビやDVDに執着します。画面にチューする勢いで近づくのはよくみられる光景です。この2歳の子がどうだったかは知りませんが、テレビとの関係に悩む発達障害の親はものすごく多いのは事実です。

こういう分野になじみがない人は「子供だからうるさいのは当然」、「テレビをみたくらいで」、と考えてしまいがちですが、そんなことでは済まない、本人が悪いわけではないけど養育者をはてしなく疲弊させる破壊力が、発達障害の子にはあります。


だからって虐待するのは、当たり前だけどいけないことです。だから、親がそういった状況に陥らないために、話を聞くことで孤独や疲労をやわらげ、知識をつけてもらうことで子供への理解をすすめるのが自治体の発達支援です。今回はその日程調整をしている最中だったそうです。


逮捕された親が子供の発達状況のために追い詰められていたかどうかは現時点では不明ですが、支援が決定した矢先の出来事、自治体の相談員や保健士さんもさぞ無念だったでしょう。








2016年3月27日日曜日

「犬みたい」!?幼児用ハーネスに対する誤解

羽と風船があれば、空も飛べるはず。



3歳頃まで、娘には外出のとき幼児用ハーネスを付けていました。
「子供用リード」「迷子ひも」などと呼ぶこともあるようです。

1歳を過ぎて歩けるようになってから、もうすごい勢いでどっか行っちゃって、
ほんとにあっという間にどっか行っちゃって、ほとんど瞬間移動のようにどっか行っちゃって、
車にでも轢かれたらシャレにならん、ということで使うようになりました。

幼児用ハーネスについては多少は理解が進んで来たようですが、
やっぱりまだ周囲の誤解があるようで、

「子供を犬扱いするなんて」
「親がしっかり見ていればいいだけでは」
「しつけがなってない」

などと非難されることも少なくありません。

(こちらをご参考に↓)
多動児にとってハーネスは命綱です。世間の皆様のご理解をお願いします。


私個人にそういうことを言う人はいませんでしたが(コワくて言えなかっただけ?^ ^;)
子供の多動に頭を悩ませている保護者の人にはなかなかこたえる言葉でしょう。


突発的な行動をとる子供との外出は、一瞬一瞬が綱渡りです。
目を離さなければいいという意見もありますが、言うだけなら簡単です。
現実問題としてカバンから財布を出している間にいなくなることを考えれば、
何らかのツールでリスクを回避できるのなら、それに越したことはありません。

世の中、おとなしく親と手をつないでいる子供だけではないのです。


ちなみに、うちの場合はハーネスを付けていても安全ではありませんでした。
ダッシュ力が無駄に強いので、ひもがつっぱった反動でばいーーーん!後ろにバターン!となってよく泣いていました。それでも転落や交通事故よりマシかなと・・・。


見慣れないものを使っている人には、それ相応の理由があります。
幼児用ハーネスは、親が子供の安全を考えて使っていることが多いのです。
車いすに乗っている人に「なまけている」なんて言う人がいないように、
幼児用ハーネスを使っている人に「犬みたい」なんて言う人がいなくなることを願います。





2016年2月16日火曜日

まるでボイスレコーダー、「遅延エラコリア」って何?

















3歳くらいの頃、娘はボイスレコーダーと化しました。

絵本の文章、DVDのセリフをまるっきり暗記し、
それをそのまましゃべり続けるのです。

ノンタンシリーズやはらぺこあおむしくらいなら、句読点を含めて完璧に覚えました。
30分あるアンパンマンDVDのセリフは、タイミングや抑揚まで寸分のズレもありません。

まだ意味の分かっていない単語も出てくるだろうに、
数回見ただけの・読んだだけの内容を完全に頭にコピーして、
何も見ずにスラスラと言葉を再生できるって、すごい能力ですよね!


まさに、ボイスレコーダー!
ただし、停止ボタンが付いていません!(泣)


1日中、寝る時と食べる時と何かに集中している時以外、
ずーーーーーーーーーーっと独り言を言っているのです。
それも、自分の気持ちやママゴトの独り言ではなく、録音を再生するだけ。
それを、1日中。


一緒にいる者としは、かなりキツかったです。


テレビのセリフの真似をすることや、
独り言をいうことは小さい子供にはよくあることです。
しかし、娘の場合は「遅延エラコリア」といって、いわば壮大なオウム返しです。

自閉症傾向のある子供に多い言語障害の一種で、
独り言自体に問題があるワケではありませんが、
対話が成り立たないため対人関係を築くのが難しく、
社会生活をおくるにあたっても支障となります。


本人は悪気なく遊んでいるだけなので、独り言を禁止するのはいけませんが、
言葉を誰かとやり取りすることや、共感することを、そろそろ覚えていかなくてはならない年頃です。


私もいろいろ工夫してみました。
セリフの途中であいの手を入れたり、「それからどうなった?」と聞いてみたり。

完全無視でしたけどねっ。


可愛い娘でも、すごい能力でも、本人にとっては無邪気な遊びでも、
1日中独り言を聞かされるのは疲れます。

もう当時はアンパンマンとかノンタンとか聞くのすらイヤになっちゃって、

「顔が濡れて力が出ないよ~」
(そのまま死ね!)←心の声

「ノンタンノンタン、ブランコびゅーん!」
(落ちて死ね!)←心の声

「あおむしはさなぎになってなんにちもねむりました」
(もう起きてくんな!)←心の声

とかいう心理状況でした。酷いなアタシ!
今から思えばだいぶキてたんですね~。


一時は永遠に続くのかと思いましたが、
5歳ころにはなくなりました。
8歳になった今では会話も問題ありません。
学校であったことをギャグを交えながら楽しく報告してくれ、
それについてみんなでわいわい盛り上がったりします。

そのかわり、完璧にコピーする能力はなくなりました。
国語の教科書も、中身はよく理解しているけれど、
一言一句暗記しているということはもうありません。

ちょっともったいない気もするけれど、
彼女と話をするのが楽しいので、ヨシとすることにします。





2016年1月31日日曜日

手が汚れるのがキライ

子供は、砂遊びが好きで、絵具遊びが好きで、泥んこになるのが好きで、
手や服が汚れるの何てお構いなしに、無邪気に遊ぶもの―。


大人はそう思い込んでいますよね。
でも、実はそうではない子もいっぱいいます。


娘は二人とも、手が汚れる遊びが大嫌いでした。
素手で砂遊びをするのは嫌がるし、裸足で遊ぶなんてもってのほか。
工作で糊が手についた日にはもう、永遠におしぼりで拭いています。


娘が通っていた幼稚園では、 自分の体や段ボール、もしくは先生に
絵の具を使って落書きをしまくるというファンキーなイベントがありました。

年中・年長のときは慣れてきたことと大人になってきたこともあって、一応大丈夫でした。
しかしやっぱり体が汚れるのは不愉快らしく、時々無心に絵具を拭いていました。

年少の時は、大変でしたね。
出だしからお友達に顔を汚されて、以降40分、段ボール基地から出てきませんでした。


















クラスに30人いたら、1~2人はこの行事に参加したがらない子がいます。
おそらく3~4人は、イヤだなと思いつつも周りの勢いに流されて参加している子がいたでしょう。

後さき考えずにウッキャーと絵の具を頭からかぶりまくってる男子は保護者に大人気でしたが、
私はいやそーな顔をしてしぶしぶ参加している子供たちを、とてもいとおしく思いました。


そういう子たちは手や皮膚の感覚が鋭いんですよね。
だから異物が少しでも体にへばりついてたら不快に感じる、とても自然なことです。
それだけのセンサーの持ち主なら、きっと将来は0.1mmの誤差も出さないような精密部品を生み出せるでしょう。
そういう才能は大切にしたいですよね。


しかし、多くの大人は、無邪気でおおらかな子供を好みます。
そして、いちいち手を拭いたり裸足になるのを嫌がる子を不審に思ったり、叱ったりします。
感じ方が他の子と違うことで、親が不安を感じたりイライラしたりすると、
子供は自分の感覚に自信が持てず、罪悪感を持つようになり、やがて感想を言わなくなります。

誰とも共有できない感覚を小さいころから抱えていることは、
成長するうえで大きな影響があるのではないかと心配です。
手が汚れるのを嫌がって端っこで見学していたあの子たち、
いまも元気にしていることを願います。


最近は子供が手が汚れるのを嫌がると、
すわ「ウチの子は発達障害では!?」と疑う人が増えています。
たしかに発達障害の子には感覚過敏の子が多いのですが、
感覚が鋭いから発達障害とむすびつけるのは気が早すぎます。
するとクラスに4~5人は発達障害ってことになりますよ。多すぎ。


感覚過敏の子は、高性能なんです。
カメラで言うとハチドリの羽ばたきをもとらえる高感度カメラ、
マイクで言うと10m先のひそひそ話をもとらえる高性能集音マイクです。
高性能の機器はそれだけ繊細だから環境を選ぶし、
メモリや電力をくうのですぐにつかれてしまいます。


大切なのは感覚の鋭さを責めることではなく、
鋭い感覚を持ったままこの世でどう生きていくかを、一緒に考えることです。









2016年1月9日土曜日

福笑いは笑えない

お正月遊びってありますよね。
凧あげ、コマまわし、羽子板・・・。
「福笑い」もその一つです。 

幼児の頃、人並みにそういった遊びをしてみようと、
美術館のイベントなどに行ってみたりしたのです。

好きなパーツを自分で選んでオリジナル福笑いを作るのですが、
小さい子にはお姉さんが目の前で見本を見せてくれます。

たまたま娘の担当になった人が独創性あふれるお姉さんで、
「見て見て!おねーさんこんなの作ったよ♪」 と見せてくれたお手本の福笑いが、
まさにオカルトの領域。


美術員の人が作ったホラー福笑いなのでシャレにならない怖さ。カラーでお見せできないのが残念。












もちろんお姉さんはイカした冗談のつもりでやってくれたのですが、
冗談が通じない緊張型神経質幼児にはインパクトのありすぎる冗談で、
娘は奥歯キリキリいわして完全にフリーズ。
人は本当に怖い時は涙なんかでませんよねー。


よくある子供の反応としては、
「なんじゃこれー」とゲラゲラ笑うか、「おかしいよコレー」とツッコミを入れるか、
怖がったとしてもその時だけで、翌日には忘れているものだと思います。

しかしやたら記憶のいいアスペさんは、
3年くらいは根に持っていましたね。
「ふくわら、コワイ」って呪文のように唱えていました。
福笑いのおもちゃだけでなく、福笑いって言葉だけでもうダメ。


福笑いは、リアルとは違うものをあえて作って笑う遊びですが、
リアルと違うことに必要以上に違和感を感じる人は、笑えるどころか恐怖の対象になります。
どっちが正しいリアクションというわけではありません。

8歳になった今では、福笑いは笑えるようです。
強い違和感はあるのかも知れませんが、
経験を重ねることによって「これは大丈夫」「これは笑うところ」
と学習したのだと思います。

他の子と同じように正月遊びに興じる娘ですが、
たどってきた道はちょっと変わっているのです。